HISTORY ホテルの歴史

人の想いが紡ぐ、真情の物語。

1935年(昭和10年)10月10日午前10時創業、85有余年の歳月、かけがえのない大切な想いを育んで参りました。お客様の記憶に彩りを添えるかけがえのないホテルで在るよう、私たちはこの先も、過去、現在、未来へと繋がる日々を慈しみ、その想いを守り続けて参ります。

風光明媚な温泉地・雲仙に誕生した
雲仙観光ホテル

日本初の国立公園に指定された雲仙は、古くから外国人避暑地として親しまれて参りました。
昭和7年、外国人観光客誘致を目的に、国策として外国人向けのホテルが日本各地に建設されることになりました。
良質な温泉に恵まれ、豊かな自然に恵まれたこの地にも洋風建築のホテルが建てられることになり、雲仙観光ホテルは開業いたしました。
昭和10年10月10日午前10時に、ハーフティンバーのスイスシャレー様式を取り入れた象徴的な建築は、 竹中工務店の設計・施工第一号ホテルで、その完成に全力を注いだ彼らの熱き思いと高い理想は、現在もなお当ホテルの滞在スタイルの中に現れています。(設計者:早良俊夫氏)

東洋美と西洋美が融合した「世界美」

設立当時、雲仙はもとより長崎県内にもこの様な豪華絢爛かつ近代設備が整った建物はありませんでした。
この地を訪れたハンガリー文化使節団メゼイ博士は、
「雲仙の自然は素晴らしい。南欧チロルの山の美にリビアの海の美を加えたようなものだ。崇高な世界美というものは、東洋的美と西洋的美が一体となったものだと思うが、雲仙でこれを発見することができた。東洋的であり、西洋的であり、しかもなんら不自然さがない」
と、称賛されたと記されています。

客船をイメージした館内には、客室61室、メインダイニング、バー、売店、図書館、理容室、会議室、ビリヤード場、硫黄泉浴室男女1室が完備されており、現在も館内には当時の面影がそこはかとなく息づいております。

昭和のラゲッジタグ

昭和の駐車場

昭和のパンフレット

変わらないという美学を
大切に守り続ける

昭和21年、駐留米軍に接収され「休暇ホテル」として利用されていましたが、昭和25年の接収解除後に営業再開。同年、国際観光整備法に基づき政府登録ホテルに登録されました(第ホ29号)。
昭和54年、「建てられた時代を象徴する総合芸術であると共に歴史を伝えるモニュメントである」と、日本建築学会により近代日本の名建築に選ばれました。
平成15年1月31日、「貴重な国民的財産である」とされ、国(文化庁)の登録有形文化財に登録されました(登録有形文化財 第42-0019号)。
また平成19年、長崎県「まちづくり景観資産」に登録、経済産業省「近代化産業遺産」に認定されました。

当ホテルは、これからも変わらないことの大切さを胸に刻みながら、至高のホスピタリティとともに、昭和初期の感性を現代、そして未来へつなぐ使命を全うして参ります。

雲仙とホテルの歴史

西暦 ホテルの歴史 雲仙の歴史
701年 僧行基が開山、山号を温泉山(うんぜんさん)と号す
1115年 瀬戸石原(現・札ノ原)に三百坊、別所に七百坊、あわせて千坊もあったといわれる(温泉山起源)
1637年 島原の乱が勃発、反乱軍の主将増田天草四郎時貞が原城に入城、反乱軍総数二万三千八百余
1653年 加藤善左衛門、雲仙に湯つぼを開き延暦湯と名づける(共同浴場の始まり)
1690年 ケンペル、長崎に来て西洋医術を伝え、滞在中に「日本史話」を著す
その中で雲仙の地名がヨーロッパに紹介される
1792年 大地震のため眉山が崩落し大津波発生(「島原大変肥後迷惑」)
1823年 シーボルト「日本」を著し、その著書に雲仙の名前が現れる“UNZEN・TAKE”としてヨーロッパに紹介される
1890年 外国誌、上海ノースチャイナデイリーニュースに雲仙が紹介される
外国からの避暑客が増加
1911年 4月、我が国初の県営雲仙公園が開設
県雲仙公園事務所設置、小浜雲仙間の道路完成
自動車が走り、雲仙・小浜に伝統が灯る
1913年 8月日本初のパブリックコースとして県営「雲仙ゴルフ場」が完成
1918年 2月、橋本喜造、神戸に橋本汽船株式会社を設立
1920年 4月、橋本喜造、大阪に株式会社堂島ビルヂングを設立
1923年 7月、堂島ビルヂング内に堂ビルホテルを開業
1927年 大阪毎日新聞と東京日日新聞主催の「日本八景」に雲仙が当選
1930年 雲仙国際観光協会設立
1932年 外国人観光客誘致が国策として推進される
各地に外国人向けホテルが建設され、雲仙にも洋式ホテルの建設が決定
運営の要請が県選出代議橋本喜造へなされる
1934年 10月、橋本喜造、株式会社雲仙観光ホテルを設立
12月、竹中工務店設計・施工によりホテル建設に着手
3月、「雲仙公園」が日本初の国立公園に指定される
地名を「温泉」(うんぜん)→「雲仙」(うんぜん)と改める
1935年 10月10日午前10時、雲仙観光ホテル竣工、営業を開始
1936年 仁田峠有料道路完成
1938年 6月、堂ビルホテルを閉鎖
ハンガリー文化使節、イストラン・メゼイ博士宿泊
久邇宮妃殿下、佐世保海軍、大村陸軍病院御慰問のためご訪問
1941年 社団法人日本ホテル協会設立、橋本喜造が理事となる
1944年 7月、株式会社堂島ビルヂングが、株式会社雲仙観光ホテルを吸収合併
1946年 終戦を受けて米軍により接収され、一般営業を停止
1950年 接収が解除され、橋本昭一がホテルの復興に着手、営業を再開する
国際観光ホテル整備法による政府登録ホテルとなる(登録ホ第29号)
第6回、日本ユネスコ大会開催
1952年 文化保護法により雲仙岳が富士山とともに「特別名勝地」に指定される
1954年 雲仙を舞台とした映画「君の名は」のロケ開始、ホテルが撮影場所となる
1956年 天草諸島併せて「雲仙天草国立公園」となる
1957年 仁田峠妙見岳ロープウェー完成
1961年 昭和天皇皇后両陛下ご来仙、ご宿泊
1963年 金蘭ハイヤー開業
1964年 10月、ホテルの料亭として、天麩羅「魚苑」新設 東京オリンピック開幕・長崎自然公園大会開催
1969年 別館新築工事(和室及び宴会場新設)
1976年 カナダパンフ国立公園と姉妹提携
1979年 日本建築学会「近代日本の名建築」に選定される
1980年 別館和室改造工事
1984年 雲仙ゴルフ場野外で「セレクトライブアンダーザスカイ」が開催
出演者の内ハービー・ハンコック、ギル・エヴァンスらが宿泊
1990年 雲仙普賢岳、約200年ぶりに噴火活動再開
1995年 第49回全国野鳥保護の集い開催、常陸宮殿下、同妃殿下がご宿泊
1996年 火山活動終息宣言、溶岩ドームは平成新山と名づけられる
1998年 3月、天麩羅「魚苑」閉鎖
2002年 本館屋根、外壁工事開始
2003年 1月、文化庁の登録有形文化財に登録される
2004年 本館屋根、外壁工事完了、第一期改修工事
2005年 第二期改修工事
2006年 第三期改修工事
2007年 第4期改修工事
3月、長崎県まちづくり景観資産に登録される
11月、経済産業省「近代化産業遺産」に認定される
2008年 第五期改修工事
2009年 8月、島原半島が日本初の「世界ジオパーク」に認定される